親との関係

両親の老後を心配した私はバカみたい。母が私と戦って守ったものとは?

母が「かすみに勝った」と言ってガッツポーズしてた、と叔母から聞きました。

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離婚直後に決まった両親との同居

こんにちは、かすみです。

17年前、3年モメたのち、離婚が成立しました。

それから7年間、両親と私の息子と、離婚前から飼っていた私の犬2匹と、一軒家を借りて同居していました。

私の離婚が決まった時点で、母と父は別居して10年経っていました。

私が物心ついたころから、私の記憶では、年中親がケンカしていて、私が、「お願いだから離婚して」と言ったら
「あんたたちのために離婚はできない」
っていう、まぁ、よくありがちな仮面夫婦の家庭だったんです。

で、私が結婚してすぐくらいに母が家を出て10年くらい別居していました。

父が退職するタイミングで、2世帯の生活が厳しくなり、また一緒に暮らすことになっていました。
それが私の離婚と同じタイミングだったというわけです。

そこで母が私にある提案をしてきました。

5人で住めば家賃負担が減るし、光熱費も一世帯分だし、広い家に住めるし、庭も広いから犬たちものびのび暮らせると。

私はやっと離婚できたことで気が緩んでいたのと、母と一緒に住んでいたのは20年以上前だったので、母との暮らしがどんなだったか忘れていたんですね。

私が毒親育ちかもしれないと自覚しだしたのは、同居をやめて2~3年後フリーランスになってからだったので、それまで「困った母だな」とは思っていたものの、親だし無下にもできないし、かわいそうだし…なんて思って、同居しようと言われた時は流れのまま、なるようになったという状態でした。

じつは、その5年くらい前に、私は母に、縁が切れても仕方がないって思いながら書いた長い手紙を渡したことがあるんです。

もうあまり細かいことは覚えていないんですが、当時、徒歩5分くらいのところに住んでいたので、何かと干渉がひどくて、コントロールしようとしてくるところや話がかみ合わないところなど、うんざりしていたんですね。

で、私は今まで母には口答えをしたことがなかったので、面と向かって言う勇気がなく、ずっと言われるままに言うことを聞いていいたんですが、徒歩では行きにくいところへ引っ越すことになったのをきっかけに「もう無理だから…」というような手紙を書きました。

それについて、母からは何の返事もコメントもありませんでした。

何かの時に「あれ読んで寝込んだわ」
って、一度だけ、かすかに聞いた気はしましましたが
「そんなふうに思ってたの?ちょっと話しようか」
みたいなことは一度もなかったんですね。

それからも、何事もなかったかのように、母の態度はいつも通りでコントロールしようとしてくるし、自分の思い通りに物事を進めるために嘘をついたり、都合の悪いことは忘れる、というのは変わりませんでした。

なのに、なぜ、一緒に住むことにしたんだろうって、ほんと、今思うと不思議でしょうがないです。

両親の経済状況がわからなかったので、2世帯別々の生活が厳しいというところも心配ではありましたし、ひとり一部屋持てるというところと、ペット可の住宅に余裕で住めるっていうところに気持ちが傾いてしまったんでしょうね。

で、母はもうすでに候補の物件をいくつか見つけていて、高級住宅街の広い庭付きの5LDKの一戸建てが気に入っているようでした。

「いや、こんな広い家、しかも一戸建てで庭も広いし…家事がたいへんじゃん」
と思ったのですが、母が
「庭の手入れも家事も私に任せてっ!」
ってガッツポーズで、目をキラキラさせてはりきっていたんですよね。

母は、学歴とか肩書とかいう権威に弱い人なので、高級住宅地に住めるっていうのがうれしかったんだと思います。

結局、そこに5人で住むことになりました。

でも、いざ引越して始めにあれ?と思ったのは、犬をリビングに連れてくるなと言われ、一応窓はあるけれど、寒い北の納戸がハウスになってしまったことです。

これまで家族同然に暮らしていたのに、本当にかわいそうでした。
会社から帰宅するのが毎日遅かったので、平日掃除ができない私には何も言う権利はなかったんですよね。昼間は庭に出してもらっていましたけど。

で、その家は、両親の持ち家ではないので、家賃を払わなくてはなりません。
両親の収入は父の年金27万円、母の年金6万円。私の収入は会社の給料手取り22万円くらい、ボーナスもありました。

家賃12万円と生活費を、父の年金と私の給料から折半で出すことになり、私は12万5千円を毎月母に渡していました。

私は会社の給料の手取り22万円のうち、12万5千円を母に渡していました。

両親は年金受給者で、家計は父の年金から出していて、父のお小遣いはどうだったかちょっと覚えていませんが、母の年金は、全額母のお小遣いだったようです。

5人での生活は、平日朝晩の食事の用意と洗濯は母、掃除は土曜日だけ、私と母がやる。
土日の食事の用意と洗濯は私。

土曜日は1週間分の食糧の買い出しで、母が決めた半径10キロ圏内のスーパーを3か所回るので、掃除と買い出しで、ほぼ一日つぶれるという感じでした。

どうしても、という時には、たまに父が買い出しを代わってくれることもありました。

日曜日の食事の用意は私なので、日曜日に私だけ出かけるということも、ほぼなく、出かける場合も、いちいち
「母子家庭なのに、いい御身分だねぇ」みたいなことを言われるので、なるべく出かけないようにしていました。

会社の飲み会がある時には
「母子家庭なんだから、子どもがいるからといって帰ってきなさい」
と言われ、母からの着信が10件近く入っているという状態でした。

今思えば、12万も親に渡せるなら、3人で生活できましたよね~。

うちは父も母も若干空気読めない系で…というか、かなり読めないんですけど、自分の自慢話や人の批判が延々続くということがしょっちゅうなので、食事時、全員がリビングに集まるときは気が重く、私と息子2人は、できるだけ両親が話に乗って来ないように、あたりさわりない受け答えをしながら、食事時間を乗り越え、その後、私の部屋に3人集まるという日々でした。

私の部屋の小さなテレビを3人で膝をかかえて見るのが楽しみでした。

母は、私が昼間子どもたちを見ていないのをいいことに、子どもたちについて、うその話を作って私に話すことがけっこうありました。

「あんたが見ていないから、息子たちはこんなに悪い子」的な話です。

親なので、子供たちがしそうなこと、言いそうなことはわかりますし、こどもたちにそれとなく確認すれば、すぐ嘘とわかりました。

親戚の叔母たちが、息子たちのことを褒めて
「うまいこと育ててるよね、いい子だね」
と言ってくれるのを聞いていたので、「そんなことはない」という抵抗だったのだと思います。

そういう、すぐ嘘とわかる嘘と平気でつくのです。
そして、本人は、そんな話をしたことを忘れてしまいます。

そのことについてはまた別の動画でも詳しくお話しようと思います。

まぁ、そんな感じの生活でしたが、母は常に「うちは貧乏だ、うちは貧乏だ」と言っていました。それは、私が小さい頃からずっとで、夫婦ゲンカの原因の半分は、お金の話だったように思います。

両親が別居する前は、田舎ですが、その住宅地の中では「大きい家」と言われるような一戸建てを建てて、そこそこいい暮らしをしていたと思うのですが、年中「お金がない、貧乏だ」って言っていましたね。

その田舎の家は、別居したあとに売ったらしいのですが、家を売ったお金は、母が株につぎ込んでなくなってしまったようです。

そのことに触れると怒るので、本当のところはわかりませんが。

というわけで、高級住宅地にある広い庭付きの一戸建てで、ひとり一部屋ある優雅な生活のはずでしたが、母の「貧乏だから」の呪文のおかげで、なんだか窮屈な思いをしていました。

そんなある日、私と母が、ちょっとした口論…といっても、私は母に対して、それほど強い口調で言えなかったので、たいした口論ではないんですが、何か反論したんですよね。

その時、母が
「この穀潰しが!」
って言ったんです(˙▿˙;)

時々ね、びっくりするような汚いことばを吐くんですよね。
後で忘れちゃうんですけど。

「は?」ですよね。

(穀潰しって…)
(毎月12万以上入れてるやん)
と思いましたけど、

とっさに言葉が出なくて、目が点だったので
飲み込みました。

普段から母は「家事は全部私がやっている、ほんと大変」と愚痴を言っていましたが、掃除は私と一緒に週に1回で、普段はトイレ掃除さえしていませんでしたし、あれだけ自分がやるから任せてって言っていた庭仕事や門の外の掃き掃除も、いつの間にか全員の仕事になっていましたから「穀潰し」はレッドカードでしたね。

もう、これだけお金入れててそこまで言われるなら3人で暮らしたほうがいいわって思って、そもそもこんな高級住宅地のこんな大きい家なんて住むつもりじゃなかったので、その日から、家を出るための準備を始めました。

それでも7年経ってたんですよね。

家を出る理由はそれだけじゃなくて、子どもたちも限界だったんです。

2人とも、おばあちゃんが変ていうことは私以上にわかっていて、私が母に遠慮して何も言えないのが腹立たしかったようなんですね。

で、おばあちゃんに反抗すると、それが私に跳ね返ってくるとわかっているから、子どもたちも、おばあちゃんに何も言わず黙って無視するのが精一杯だったようです。

次男は、部屋の壁に当たって解消するようになり、壁に穴が空いたりしていましたし

長男も、学校の教室の壁のペンキを授業中にペリペリ剥がしてしまうなんてこともありました。

これはいかん、母には言ってもわからないから、家を出るしかない、ということになりました。

私の部屋の押し入れに、新生活に必要なものをちょこちょこ買っては隠していました。

私の会社の近くに、いい部屋を見つけたので、そこの契約をし、引越しの日取りもほぼ決めてから母に出ていくことを伝えました。

家賃を両親だけで払っていくことになるので、もしかしたら両親も引越しが必要かもしれないし、早めに伝えておかなければという気持ちもありました。

母は
「これからは好きなように暮らしていいから出て行かないで」
と言いましたが、絶対その時だけなんですよね。
また同じことの繰り返しなのは分かっていたので、一切聞きませんでした。

この引越しを決めるにあたって私は父にある提案をしていました。
それは、母と別れて私たちと一緒に住まないかということ。

若い頃からケンカが絶えなかった両親で、何度も離婚の話も出ていました。
ですが、慰謝料を一括でほしいという母の要求があまりに無謀だったのと、離婚すると父の年金が母に入らなくなるからという理由で、父がずっと拒否してきていました。

今回もやっぱり父は、母と残ると言いました。
「しんどいけど聞こえないふりしてればいいから」ということでした。

優しいんだか共依存になってしまってるんだか、かわいそうだけれど、仕方がないので父の好きなようにしてもらいました。
本当のところ父はどうしたかったんでしょうね。

数年後に私がカウンセリングを受けた時にカウンセラーさんから言われたのですが
「お父さんをかわいそうと思うことはない。それはお父さんが選んだ人生、あなたの責任じゃない」
とのことでした。

そんなものなんですね。
わかったようなわからないような、いまだに私は父も母もかわいそうだと思ってしまいます。

そうこうしているうちに、引越し直前に母方の祖母が亡くなり、2匹いたわんこのお兄さんのほうが亡くなり、バタバタと怒涛のように引越しが終わりました。

ぜんぜん私の給料でやっていける。
3人で自由。
会社も近い。
そこから私達3人の新たな生活が始まりました。

あとから母の妹である叔母に聞いたのですが、私が父を誘い、父が私についていかないと言ったことを母が誰からか聞いたみたいで、その時母は
「勝った」と言ったそうです。

私は、しばらく何年もの間
「なんで?どういう意味?」
って、母の言ったことの意味がわかりませんでした。

親子で父の取り合い?ってことなのかな?
よくわからないけど、娘に対して勝ったの負けたの言う母親って何?と、不思議で仕方ありませんでした。

ですが、最近、これかな?という理由がわかったような気がします。

お金お金と、お金に執着のある母でしたので
私が父の年金目当てで父を誘ったと思ったのかもしれません。

父のお小遣いと食費プラスアルファーくらいで充分でしたけどね。
なんなら半分母に渡してもよかったかもしれません。

たぶんそうではないかなと思わせる出来事が3年前にあったんです。

父が、80手前にして、母と離婚するといって家出をした時の話です。

そのお話はまた今度。