親との関係

私なんてゆるゆるの毒親育ちだけど、いろんなことから逃げてきた

母に逆らうとめんどくさい
そこから逃げ続けてきた人生でした。

こんにちは、かすみです。

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背景の映像は、大阪の千里東町公園~千里中央公園まで

「毒親」ってキツイ言葉ですよね

YouTubeチャンネルやブログを立ち上げる時に、どんなことを発信するかっていう概要みたいなものを書くんです。
ブログだと「このサイトについて」っていうページになるんですけど、そこには、息子たちがこれから進学だっていう50歳目前で、シングルの私が脱サラした話とか、フリーランスで食べていけるようになるまでの話とか、老後の話とか、親との関係を発信していますって書いているんですね。

その「親との関係」の部分を「毒親育ち」ってあえて書くかどうかって、だいぶ悩みました。
キーワード的には、そりゃあ入れたほうがいいのはわかっているんですが、なにしろキツイ言葉でしょ。あまり好きではないですしね。

もっとひどい親の元で、苦しい思いをしている方はたくさんいるので、果たして私はほんとに毒親育ちと言っていいんだろうか?っていうのもあって、ちょっとその言葉を使うのは気が引けちゃうんですよね。

誰からも理解してもらえない母のおかしさ

私の母は、一見普通の人ですし、自分の妹たちや私達家族に対してしか、おかしなところはわかりません。

昔、私の友達に、
「かすみのお母さんて、ちょっと変わってるね」
って言われたことはありますが、よその人から言われたのは、その一度だけです。

普通、よっぽどじゃなければ人の親のことをそんな風に言ったりはしませんしね。
それを言ったのは、本当に仲のいい親友だったので、率直に言ってくれたんだと思います。

世間的には、まあそこそこのお家の奥さんで、PTAの役員もしてるし、私達子供も、まあまあな成績で円満な家庭っていうふうに見られていたので、母がどうのこうのってどこかに相談したところで
「お母さんをそんな風に言うもんじゃない」
「一生懸命してくれて、いいお母さんじゃないか」
って、多分言われたんだろうと思います。

そして、私たちにとってしんどい母でも、本人は悪気がなかったりするので
「そこ直してほしい」なんて言おうものなら、
「私がこんなにあんたたちのことを考えて一所懸命やってるのに、その親に向かってそんなこと言うなんて非常識だ。そんなんじゃ、まともな大人になれない」
って言われます。

本人も、本当にそう思っているので、私たちは「はいはい」ってスルーしているしかないんです。

そもそも、どうして私が自分の母親を毒親だと思ったのかなんですが、「毒親」という言葉を知ったのは、それこそ50歳過ぎてからで、スーザン・フォワードさんが書いた「毒になる親」という本を読んだ頃、ちょうどそのあたりから、世間でもその本きっかけで、困った親を「毒親」と言うようになったからですね。

それまで、母がおかしい、しんどいと思ってネット検索して、同じような体験をしている色々な人の文章を読んで、私だけじゃないんだな、もっとひどい人もたくさんいるんだ
というのはわかってきていました。

で、あとからそれが毒親って呼ばれているらしい、ということを知ることになるって感じです。

なので、「毒親」という言葉は一旦置いといて、私が母をおかしいと思い出したきっかけについてお話したいと思います。

核家族での弟の虐待

私の家は、核家族で、親戚とは遠く離れていたので、正直、子どもにとって親は、唯一知っている大人の世界だったんですね。

なので、他に比べるものがなかったし、そんなもんだと思ってずっと暮らしていました。

両親は毎日のように喧嘩をしていて
「子どもの前で喧嘩をするのはよくない」と
一応言ってはいましたが、いざ、喧嘩が始まって、私が喧嘩をやめてほしいと言うと、母は
「これくらいのケンカ、どこの家でもある」
「この程度のことを気にするなんて神経症じゃないの? そんなんじゃ大人になってちゃんと生きていけないよ」
みたいなことを言われていました。

うちの両親も、人前で喧嘩するようなことはなかったので、仲良さそうに見えているよその家庭も、家族だけになったら喧嘩しているのかな、くらいに思っていました。

ただ、2つ下の弟が、物心ついたころから、何かにつけて虐待されていたんです。

口答えすると、
「ちょっと来なさい」って言われて
「これでもか、これでもか!」
って言いながら平手打ちをされて、吹っ飛ばされて、身体中青あざだらけになったり

パンツのゴムが伸びて、ゆるゆるでずり落ちてくるのに、ゴムを入れてもらえなかったり、朝学校へ行く用意をしていて、靴下がないと言っても、知らん顔されていたりしていました。
父がチクチク縫ってあげていたこともあったらしいです。

弟は、それにも負けず、なんとか対応してもらおうと
「お母さんっ!!」
って叫んで頑張っていたので、私はそのやり取りを見ているのがストレスでした。

母に意見するのは怖かったし、弟がかわいそうだけど助けてあげることもできず目をそらしていました。

弟の叫び声もけっこうなストレスで、「うるさい!」って言っていたと思います。
ある意味、(お母さんに逆らうな)っていう気持ちが大きかったんだと思います。

弟は、小学校5年生までおねしょをしていました。
それが母には心配でストレスだったのかもしれません。

弟が朝自分の部屋から
「お母さん!!」
って叫ぶのも、ただの甘えだと決めつけて、「甘やかしてはいけない」と思っていたのかもしれません。

私は、そんな弟を見ているので、自分も叩かれるのが怖くて、母の言うことには絶対逆らいませんでした。

母の前では「いい子」を演じる

とにかく私は、母の前ではいい子でいました。

勉強しているふりをして、こっそりマンガを読んでいたり、通信教育の勉強をしていると言って課題を出していなかったり、家計費の入った袋からお金を取って、母が
「知らない?」
と聞いてきても
「知らない」
ととぼけたり、平気で嘘をつく子になっていました。

でも、今思うと不思議なんですが、通信教育の課題を出していなければ添削が返って来ないので、やってないのはすぐバレるはずですが、それについては、何も言われなかったんですよね。

取ったお金で欲しかった筆箱を買って、残ったおつりを、机の上の小物入れに入れていたんですが、それも母が見ていたのに、どうして私がそんな大金を持っているのか、問いただされたことはありません。

お金を取ったのは、その時だけでなく、しょっちゅうでした。
気が付かないのはおかしいくらいの額を取っていました。

私と向き合って話をする自信がなかったのでしょうか?
何も言わないで様子を見るのがいいという教育方針だったのでしょうか?
それとも、子供のすることに無関心なだけだったんでしょうか?

そんな疑問を抱えながらも、言われないならやってOKとばかりに、それから私は、母には嘘つき放題になっていきます。

母には本当のことを言わなくてもOK。
母の前ではいい子にしていれば問題ない。

自分の世界の中だけで自由にやろうって、割り切れるようになっていきました。

両親は学歴を最重視していました。
父の兄弟は、みんな、そこを出ていれば秀才と言われる大学出身です。

母も、親に反対され、進学こそできませんでしたが、高校は学区で一番の進学校だったらしいです。
父とはその高校での同級生です。

私はその地元ではないのでわかりませんが、いつも高校の自慢話ばかりしていました。

とりあえず、学校の成績さえよければOKだったので、中学では、常に学年で10番以内に入るように、試験の前だけ頑張りました。

あとは、漫画が好きだったので、お小遣いは全部漫画につぎ込み、足りなければ母の財布から取り、「勉強~」と言って部屋へ行き、隠れて読んでいました。

イラストや詩や日記を書くのも好きで、ほぼ勉強時間は何か書いていて、母が階段を上がってくる足音がしたら、ササっと教科書とノートに入れ替えるという感じでした。

ま、このあたりは皆さん似たような感じなのではないでしょうか(笑)

そんな感じで、でも、あからさまに隠し事をしている感を出さないように、適当にイラストを見せたりもしていました。
詩や日記は絶対見せませんでしたけどね。

娘をコントロールする母

そして、県内ではそこそこの進学校の高校生になりましたが、高校が私服の学校だったんです。

そこで、だんだんと母の窮屈さが際立ってきます。

服を自由に選ばせてくれない。
というか、私に選ばせているように見せて、実は母が好きな服を選ぶように圧がかかる、みたいな感じですね。

セーラーカラーの服が欲しいというと
「そういうのは賢くない子が着る服よ」
なんて言われたりしていました。

私としては別に賢く見られなくても良かったんですが、母がそう言う=(イコール)「そういう服は着せたくない」ということなので、それ以上は逆らいませんでした。

昔から、着る服は白いブラウスに紺のセーターとか、キッチリカッチリ委員長タイプの服でした。

フリルの付いた襟のブラウスとか、ピンクとか黄色の服とかに、すごく憧れていましたが、「ピンクは若い子が着る服じゃないよ」
「地味な色のほうが若い子はきれいに見えるからね」
とのことでした。
まあまあ、見方によってはそうかもしれないけどって感じですけどね。

たまに洋裁をしていた母は、服を作ってくれたりしたんですが、飾り気のない、おりこうさんのお嬢さん服でした。
それはそれでありがたく着ていましたが。

もう一つ窮屈だったのは、友達の家にお泊りできなかったことです。

高校時代は学校の行事での泊まり以外は、お泊まりしたことがありませんでした。

ま、これはね、他のお宅でもあるあるだと思うので、仕方ないかなと思いますが
「かすみんちって厳しいね」
とは言われてましたね。

母は私が小さい頃から私の行動範囲を制限することがけっこうありました。

近所のおばさんが編み物を教えてくれるから習いに行こうと、友達同士で約束して帰ってきても
「そんなのお母さんが教えてあげるから」
と言って、私だけ行かせてもらえなかったりしたこともありました。

あれはなんだったんでしょうね?
自分のできることを、娘が習いに行くと、プライドが傷つくんでしょうか?
借りができたようになって嫌なんでしょうか?

結局母にも教えてもらえなかったんですけど。

なにかにつけて、うまい具合にコントロールされていたわけなんですが、母に逆らうと
「あんたがまともな神経の持ち主なら、そんなことしないよね」
とか
「常識がある人は、そんなことしないのよ」
とか
「そんな考え方していると、まともな大人になれない」
というようなことを言って、自分の思うようにコントロールするというのが
母のやり方でした。

そう言われて、黙って従う私もどうなんて感じですよね。

最近になってそんな話を人にすると
「そうだよ、私ってそういう人だから」
「そういうふうに育てたのはあなたでしょ」
って言ってやればいいじゃんと言われるんですが、当時の私は、母と言い合いになるのが面倒だったんです。

というか、結局母の理屈で言い負かされるのがオチだった、というのが本当のところです。

この程度で毒親育ちって言えるのか?

ここまでお話してきましたが、たぶん、
「は?それで毒親?」
何言ってんの?

と思われる方がほとんどですよね。
けっこう恵まれた家庭で育ってきたなとは思います。

何ぜいたく言ってんの?って感じですよね。

「なんかお母さん、難しいんだよな」
「お母さんの機嫌が悪くなるからやめとくわ」
「いいって言うかダメって言うか、その時で違うからわかんないんだ」
程度のことだったんです。

なので、ほんとに50歳になるまで、母のことは、母の妹2人にしか愚痴っていません。

細かいことはまた追々お話できればと思っていますが、家族にだけ見せる母の鬼のような部分も確かにあって、その小さいことが、積もりに積もって、その後の私のいろんなことに影響してきていたのは事実です。

母が何て言うか気にして生きていた

まず、母との関係に疑問を持ち始めた第一歩が、高校を卒業して、東京へ出てきて、一人で服を買いにいった時のことです。

気に入った服があったんですが
「これ買ったらお母さんになんて言われるかな」
って思って、ハッとしたんです。

あれ?
お母さんは特急で2時間以上かかる所にいる。
この服を着ているところを見るわけじゃないのに、
何でそんなこと思ったんだろう?」

って

そこで初めて、母の顔色を見ていろいろ決めてきたんだなってことに気が付きます。

本当の葛藤はそこから始まります。

それでは今日はこの辺で。